夜明けまで3時間

独り言ごちゃまぜボックス

誰もいない場所に

さっそく更新が滞っていた。はてなブログから「更新せんのか」という旨のメールが数日前に来てごめんなさいと思った。

 

ディストピアが好きだ。たぶんディストピアの意味わかっていなかったりするけど、それでも好きだ。

人気(ひとけ)がなくて、なんだか大きくてきれいでシンプルな建物がたくさん並んでいる場所が好きだ。

世界なんか終わっちまえと思うことが誰しも一度はあると思ってるんだけど(一度も思っていない人は単純にうらやましい)、なんかもう、前後の脈絡なんか一切なしに、唐突に人類いなくなってほしい。

少女終末旅行」というコンテンツがあった。アニメの最終回を観た後に漫画の最終回も訪れて読んだ。最終回はそれこそいろんな気持ちが生まれたけど、それまでの道のりはとにかくなんだか、ほっとした。そう、ほっとしたんだよな。

夜の深い時間に、とりわけ関係を深めなくてもいい(あるいはもう深まり過ぎていてこれ以上の発展を必要としない)人と二人きり。交わすのは他愛もない会話。場所は生活感にも色彩にも乏しい巨大な終末都市。

そこは距離を考えなくてもいい場所だと思う。極端にスケールが異なっていると、私たちはたぶんいちいち色んなもののそれぞれの距離をはかることをやめる。馬鹿らしくなるから。どうせそんなことをしても終わりは来るし、あまりにも大きすぎて自分にはどうしようもないから。

色んなものが機能していて、終わりは遠くて、まだまだ改善出来てしまうって言うのは、ある種恐ろしいことだ。距離をはかるのもよりよくするためだし、それには神経を使う。わたしたちは知らず体のどこかに力を込めてしまうし、凝り固まる痛みに眉をひそめざるを得ない。

疲れちゃうよな。

私を知っている何人かの人は「だろうね」って笑うかも知れないけど、私は他人との距離の取り方が全然分からない。

突然目の前の人がとても愛しいもののように思えたり、自分と親しいもののように見えることがあって、相手がぎょっとするような距離感でものを言ってしまったりする。そのまま気づかずにいたら楽だけど、変に臆病だから、後になってから大体気づく。そんで、あの人は私のこと親しくもない他人だと思っているのになと冷静になって、むなしくなって、もはや泣けてくる。

だから結局どうしたらいいのか分からなくなって、たぶん壁を作っている。それで、誰かと親しくすることが難しくなる。そんな気がする。

私を親しく思ってくれる人なんて今のこの世界に何人いるんだろうって思ったら、もう、消えたって大差ないなと思う。

人数じゃないけどね。一人いてくれたら、たぶんそれでいいんだけど。

それに他人がいると評価が生まれる。それもめっちゃしんどい。私のことを私しか評価しない世界は楽だ。空しいけど。でも滅亡して極端に人間が少なくてしょうがないから一人なんだって思えたら納得できるだろう。改善できた可能性、があるのがしんどいんだもの。誰かがいたら、あの人と仲良くできたらよかったのに、とか、私がもっとこうだったら選べた、選んでもらえたかも知れないのに、とか。結局他人がいると絶対に傷つけたり傷つけられたりする可能性が生まれる、だから嫌だ。

シンプルできれいで大きな建物っていうのは私の他の嗜好も入ってるだろうけど、色んな意味で少女終末旅行の世界はほっとした。でも、もしその世界に私が入れたとして、私の隣には誰もいないんだろうな。自分でそれを選ぶ気がする。嬉しそうな顔で「しょうがないから一人なんだ」って言いながら。

私は人間嫌いだとかかっこいいことは言えない。人間を嫌いになりたくないからそばにいたくないのかな。他人に受け入れてもらえない現実に直面するのが嫌だからそばにいたくないのかな。

 

でも結局私が今生きている世の中にはまだ何億人、何十億人もの人がいて、仲良くなりたいと思えてしまう人が今見渡すだけでも何人もいる。どうせ仲良くなったら皆私のこともういいやって思ったり、嫌いになっちゃったりするんだろうけど、とにかく有り余るほどのより良くできる、広げられる可能性があって、あーあって思う。努力しなきゃいけないんだなあ、って途方に暮れる。努力出来る環境だから。出来るのにしないっていうのは許してもらえないし、自分自身いつか許せなくなることだろうから。

でもねえ、とにかく、今私とおしゃべりしてくれたり、お話を聞いてくれたりする人のこと、結局私は大好きだなって思いますよ。文字通り、本当に、有難いことだなって思うから。

 

誰もいない場所に行きたい。でも今はまだ行けないから、そこに連れていきたいと思えるような人を、とりあえず、何とかして、増やしていこうと、思う。