夜明けまで3時間

独り言ごちゃまぜボックス

掌編「なりたかった」

気の抜けたような肌寒さのなか、子どもが1人でブランコを漕いでいる。

もう18時も30分を回っていた。いよいよ居合わせた大人の感覚が問われだす時間帯だ。
イルミネーションなんてお呼びでない、2、3の遊具とベンチがあるばかりの公園で、俺とあの子の2人きり。
参ったなぁ。何となく家に帰りたくなくてスマホゲームを始めたのが1時間前。その頃はまだ風景の一部だった子供の様子も、今は何だかそれなりに大それた問題として固有の存在感を帯びている。

……。
声をかけないなら今だ。今帰るしかない。
ただゲームがまだ途中なので、この場面が終わってからにしよう。
手の中に収まる出来事を素早く進めていると、じゃり、とすぐ近くで足音がした。

顔を上げると、信じたくないくらいどうしようもない無表情の子どもが立っていた。

「おじさん1人なの」

おじ……、と口の中で思わず繰り返しながら、感情が全く追いついていないまま「うん、見ての通り」と返す。

ふうん、と子どもはほとんど吐息に近い相槌をうって、そのまま腰を屈めた。

「見てていい」

いちいち語尾が下がっていて「?」の印象が弱いというかほぼないので、質問だと認識するまでに時間がかかる。
ぎゃーたすけてーと内心叫びながら、「うん」とまた口が先に言う。

場面が終わってしまったが、そのままゲームを終えたら何が始まるのか恐ろしくてならないので、素早く次の場面を始めた。

そうやって、しばらく、子どもに見張られながらゲームをする俺、という謎に包まれた状況が続いた。

ちら、と子どもを見やる。なんだか年恰好に相応しくないくらいに優美な目元をしていて、伏せた瞼を飾るまつ毛は長い。その下から、特に興味があるようでもなく、かといって全くどうでもいいわけでは無さそうな、妙に大人びた視線を放っていた。
脆くて不安定、なのに以外と攻撃性のある子ども特有の雰囲気が全く感じられない。まるでちゃんとした大人みたいだ。どのようなことも、ひとまずしっかり受け止める、というような。
となると、なんだか不思議に俺にも余裕のようなものが出てきた。他人と関わることが不得手な俺がどんな粗相をしでかそうが、こいつにはなんの関係もない。多分そういう類の安堵だ。
「ゲーム好きなの?」
子どもは目を動かさない。
「わからない」
わからないか……とばつが悪い気分になる。調子に乗って聞かなければよかった。確かこういうのはクローズドクエスチョンというのだ。答えは得やすいが発展しにくい。
しかし子どもは言葉を続けた。
「やったことないから」
子どもは上体を起こして、ブランコの周りの低い囲いに体を預けた。
「やったことない、んだ」
意外そうな声を上げると、子どもはどこを見ているのか分からない目をして頷いた。
「やってみる?」
「いい」
「そう……」
ぴゅう、と身をすくめたくなるような冷たい風が吹いた。だんだん寒さが芯を持ち始めてきている。
「……家に帰らないの?」
「帰ってもいいけど」
「……けど……?」
躊躇いつつも先を促してみると、子どもは視線を落とした。
そのまま、時が止まったようにお互い固まった。
聞こえなかったのかな。というのはこの距離でさすがにあり得ないので、無視だな。
悲しさと気まずさに携帯を再度触りかけたところで、声が聞こえた。
「帰ったら1人だから、ここで2人の方がいいかなって」
何だか呆気に取られた。
「どっちが?」
俺か。
「どっちも」
お前もかよ。
何だか笑ってしまった。
笑いを含んだ声でそうだな、と呟くと、子どもが俺を見た。ちら、と動揺みたいなものが瞳に映る。
「だって今日、クリスマスだもんな」
子どもは視線をふいと外して、頷く。
「サンタはいい子のところにしか来ないっていうの、嫌いなんだ」
俺は目を丸くした。そんなことを気にするような人間には見えなかった。もっと、成熟しているというか。
ああ、成熟している、ふりをしているだけか。
「来なかったの?」
「ずっと来てない。ていうか、ああいうのって運じゃん。お父さんやお母さんの性格の問題じゃん」
「あー……」
話のスタートがもういきなりそこな訳ね。
「まぁな。そもそも変だよなぁ。本当は何でもない日のはずだったんだよ。なのに1人でいちゃダメだとか、ケーキやプレゼントがないと可哀想だとか」
「うん。なんか、そうじゃないと悪いみたいな」
子どもはさっきより力を込めて頷いた。
「あのね。俺はね、本当は俺とは関係のない人の家で育ったんだけど、そこには俺みたいな子が他に何人もいて。クリスマスの日は、何もなくて、それが普通だった」
そうなんだ、と子どもが目を瞬いた。少し哀れむような顔つきに、俺は違うんだよと手を振る。
「いいところだったよ。お祝い事には疎かったけど、大事にしてくれた」
けどなんかこう……、と首をかしげる
「わかる。運なんだよな、って思っちゃうよな。クリスマスとかいう、こういうイベントの時は。お祝いしてくれる人に出会えたかとか、そういう家に生まれられたかとか。そういうのを試す日な気がして、好きじゃない」
「だから家に帰らないの?」
「だからっていうより、でも、かな。『でも』家に帰らない」
息が白く映えて、もうすっかり夜になっていることを意識した。子どもは寒くないだろうか、と心配になる。見た所コートも手袋もマフラーもきちんとしているし、大丈夫なように見えるけれど。
座りなよ、と隣を叩く。子どもは少し迷ってから、子どもの手のひら1つ分くらい離れて腰掛けた。
「家に帰ったら、クリスマスなことなんて忘れられるんだ。でも、ちょっと見渡せばイルミネーションがあって、付き合っている人たちが嬉しそうに出歩く外にいる。それは多分、俺もちょっとはクリスマス……っていうかこういう、浮かれた楽しそうな雰囲気を感じたいって思ってるからなんだ」
「ふうん。変わってるね」
「君はどうなの?」
「別に。何となく1人になりたくないだけ。……嫌じゃないんだ? 自分はその中には入れないのに」
「そうだなぁ……。逆に、絶対に入れないからこそ、見るだけは見てたいっていうか」
指先を擦り合わせながら言葉を探す。
何だろうな。毎年味わうこの気持ちは、なんだろう。
「……俺はね、多分、サンタにはなれない人間なんだよ」
子どもは表情を曇らせた。
「ずっと他人を避けてきた。家族も子どもも作らないし、誰かと深く関わり続けられる気もしない。サンタは、愛する人のために頑張る生き物だ。僕にはそれになる資格がない」
寂れた公園の景色が、揺らいで少し鮮明になった。鼻がつんとする。何やってんだろうかなぁ、と、思う。この先もう会うことはないだろう子どもに、クリスマスの夜、悲しい本音を話している。どうかしてる。内容のどれをとっても、バイトの先輩に話すほうがまだましなことばかりだ。
もう俺今日は黙っていようと心に決めたとき、子どもが口を開いた。
「おじさんの言ってること、難しくて、多分全部は分かってないんだけど」
「あっ、ごめんな」
「そんなすごいことじゃないと思うよ。ほんとは。もっと、簡単に出来ちゃうことなんだと思う。大事なのって、やりたいって思うかどうかなんじゃないの」
眉をひそめて考え込むような横顔に、俺はあっけに取られる。
「簡単に?」
「うん。もっと皆わがままだし、自分のためにやってるよ。去年クラスの女の子が好きな男の子の家に夜入ってプレゼント置こうしてすごく怒られてたし、昔幼稚園に全然関係ない大学生のお兄さんがサンタですとかって来たことあったし。たぶんあれバイトだし」
「……君何年生?」
「小4」
その時点でこんなに大人の世界知ってんのか。やっぱ子ども怖いな。
「そうだなぁ。案外みんな、気まぐれに、無責任にサンタになってんのかなぁ」
「うん。ふらっと」
へぇー。
世の中、そんなもんか。
思わず笑みがこぼれた。
俺って俺が思ってる以上に馬鹿だったんだなぁ。こんな、小学生でも知ってるようなこと、知らずに二十なん年。
いや、ほんとはこいつみたいな若い人間が知るべきじゃないんだ。でも知らざるを得なかっただけで。
もっと、夢を見たってよかったはずなのに。
あ、それは俺も同じか。
運なんだよなぁ、結局。
笑い声を上げていると、子どももほんの少し唇を緩めていた。
ふと、あることが頭をかすめる。
俺は子どもの顔を覗き込むようにして言った。
「なあ、お前、もう家に帰りな。送ってやるから」
子どもは俺を見つめた。数秒ののちに、頷く。

たわいもない話をしながら、住宅街を歩いた。公園から5分くらいのところに、子どもの家はあった。周りより大きな立派な家だ。こんな家でも、クリスマスがなかったりする。それは別に、責められるようなことではなく。
電気の付いていない玄関に立って、子どもはドアに鍵を差し込んだ。

「じゃあ」
「うん。良いお年を」
首を傾げて言うと、子どもは唇を緩めて頷いた。
ドアが閉まる。軽い足音が遠ざかる。瞬間、俺は駆け出した。

インターホンを押してしばらくするとドアが開いて、隙間から子どもが訝しげに顔を出した。
「どうしたの」
「さっきぶり」
笑ってみせたはいいものの、どう切り出せばいいのか分からない。
「おじさんって不審者だったの?」
「ちが! ……うよ! そう、それが、さっき俺が不審者に会って……」
ああ、もういい。喋れば喋るだけボロが出そうだ。
俺は鞄から包みを取り出して、子どもに差し出した。
子どもは目を丸く見開いた。
何故ってそれは、その包みが赤と緑のきらきらしたデザインで。
いかにも、クリスマスプレゼント、だったからだ。
「1人でブランコをこいでた子に渡し忘れたっていうから、君のことだと、思って」
一貫性がまるでないな、と恥ずかしくて、汗が吹き出てくる。サンタのことをこの子どもは知っているのに、でも、俺から、なんて渡せない。どうしても。
子どもは、まじまじと包みを見つめた。
「……その人は、赤い服を着てた?」
「え? あ、ああ、うん。確か」
「そう……」
子どもは、大切そうに包みを抱えた。
そして言った。
「実はさっき渡されたんだ」
「えっ!?」
子どもは、ポケットから小さな包みを出した。
「1人で携帯ゲームしてた大人の人にって。走ってて追いつけないから、君が渡してってさ」
目を白黒させながら受け取ってみてから気づくと、随分包み方がへたくそで、中身はおそらくお菓子だった。
ああ。
こいつ、全部分かってたんだ……。
走ってたのもバレてるし……、と座り込みそうになった時に、信じられないくらい優しい声で子どもが言った。
「ずっと渡しそびれてたから、ごめんねって言ってたよ」
視界が揺らいだ。
嘘だよ、って思った瞬間、目元を覆った。
「お前が謝ることじゃないじゃん……」
「伝言だよ。代わりに言ってあげただけ」
包みを抱えた子どもが満足そうに言う。
泣きながら俺は聞いた。
「嬉しい? プレゼントがもらえて」
子どもは大きく頷いた。
「うん。めちゃくちゃうれしい。おじさんは?」
「死ぬほどうれしい」
子どもは、はっきりと笑顔だと分かる表情を見せた。それはとても年相応で、輝いていて俺はまた涙が止まらなくなりそうだったから、足を半歩引いた。
「じゃあ、俺、帰るな」
「うん。ねえおじさん、こんなうれしいこと、毎年待ってたら疲れちゃうけど」
子どもは優しい目をして、首を少し傾げた。
「たまにあって、ラッキーだったなって思うくらいなら、いいよね」
うん、と頷いた。何度も。
外に出ると、車のドアが閉まる音がした。綺麗な女の人が歩いてくる。俺は軽く会釈をして、早足で離れた。
後方で慌てた声がする。
「ちょっと、大丈夫だった? あの人は誰?」
子どもが笑いを含んだ声で返事をする。
「大丈夫だよ。あの人はただの、サンタさん」
イブの夜なんかとっくに過ぎてるけどなと、偶然サンタになれた、ならせてもらえた俺は笑う。
たぶん史上最年少のサンタなんじゃないか、あいつ。いや違うか。去年サンタになろうとした女の子がいたんだっけ。
何だか笑いが止まらなくて、俺は小さなサンタにもらった飴を口に入れた。