夜明けまで3時間

独り言ごちゃまぜボックス

虹を虹たらしめるもの

眼鏡をかけようとして、視界の端に虹が映ったような気がしたことがある。
あ、これは眼の病気の話ではない。ただでさえ私は病気の予感に怯える種類の人間だけど、今回は大丈夫だ。
で、何だろうと思ってきちんと眼鏡をかけると、それは某呼びかける系緑茶のペットボトルだった。
あ、これは脳の病気の話ではない。ただでさえ(以下略)
うーんまぁ、病気ではなくとも脳の認識する機能とかは関係あるかなと思うけど。とにかくこの現象から私はある予測を立てた。他の人は分からないが、少なくとも私が「虹だ」と認識するとっかかりの色は、薄く明るい緑色なのではないかと。つまり視界のどこかに、ことに予測していなかった明るい緑色がさすと、私の脳は「あ、虹?」と認識するのでは、と。思い返せば玉虫だってベースは緑色である。

 

また、最近妙に緑色に縁がある。気がする。……緑と縁って字似てるな。
もともと私は暖色が好きで、寒色に位置する緑色を自ら身につけることはほとんどない。
のだが。
8月に出た舞台の、個人個人で色の異なる衣装の私の分が緑だったり、ふっと配られた飴が緑だったり。
なんだろう、人からみて私って緑が似合うように見えるのだろうか。あんまり好きな色じゃないから悲しい、なんて思っていた。

 

けれども、最近少し考えが変わってきた。先に書いた虹の件でもそうだし、観ると呼吸困難になる作品「宝石の国」の主人公フォスフォフィライトも優しい薄緑、薄荷色というやつだ。
そう、宝石の国ねー。今日? 昨日? 最終回だったよぉ〜。すごい好きになってしまった。今日の記事は半分くらい宝石の国の話をします。〜8巻のネタバレはしない方。する方も……、今日のうちに上げるかも。

 

ともかく、緑は私にとって、案外身の丈にあったものでもあり、程遠い虹への架け橋でもあるんじゃないかと、そんなことを少し考えたりする今日この頃である。
でもやっぱり、身につけようとはあんまり思えないんだなぁ。フォスフォフィライト推し! という意味をつければもちろん手に入れたいけど。

 

さて、では以降主に宝石の国、感想パートです。と言いつつ、タイトルの「虹」にもかかってきたりしそう。
虹、というのは、私の中では時折「夢」という意味を持つ。寝るときに見るやつというより、ああなりたいなぁとかの方の夢。理由はきちんと言えるか分からないけど、そこはニュアンスでというゴミのような一言で割愛します。

 

ツイッターで流行っていた診断で、宝石の国のキャラクター診断というものがあった。いくつかの質問に答えたら、あなたのタイプはこの宝石です、と示してくれる。
やってみた結果、私はフォスフォフィライトだった。
その時はふ〜んとしか思わなかったけれど、今となっては何というかかなり納得できてしまう。
というか、何だろうなぁ、ぼんやりとでも夢がある人は結構フォスフォフィライトの根幹に共鳴しちゃうんじゃないかなぁ。
フォスは最初、誰よりも弱くて不器用だけれど、誰よりも明るく自信満々に振る舞い、そして、ずっと何かに不満を抱いている。その不満というのが、やっぱりこうなりたい、ああなりたいっていう願望をふくんでいる。
やがて、フォスは変わっていく。目に見えて変わっていく。薄荷色に輝く足を失い、腕を失い、そこを別の何かで埋めていく。

 

作中ではさらーっと流れていくんだけど、あの、とても胸が痛んだ。フォスをフォスたらしめるものが無くなっていく。別の何かに変わっていく。代わりに彼は強くなった。明らかに境遇はよくなっていった、ように見える。
これは変化と存在意義の話でもあるのかも知れない。何かを手に入れるためには、何かを失わなければならない。それが変わるということ。
私も、変わらなければならないと思うことはいくつもある。変わらなければと思った領域で実際望み通り変えられたことはいくつもないが、振り返ってみれば、ああ、こういうところ、変わったんだろうな、と思えるところはある。
そういう所が多分フォスでいう貝殻の足であり、合金の腕なんじゃないだろうか。
彼らは失くした分の体だけ記憶や感情を失う。心が体であり、体が心である、という宝石たちの体の仕組みは、本当によく出来ていると思う。

本来の自分じゃ得られないから、変わってーー失くして、別のもので補って、自分じゃなくなって、得る。そんな風に変わってしまった私は、まだ私と言えるだろうか。時々はっとして、そんなことを思いながら、
でもそれを成長と呼んで、私たちは生きている。


宝石の国の作者である市川春子さんは以前、私の作品には人間ではないものばかり出てくるけれど、それらによって私が描きたいのはいつも人間だ、というようなことを言っていたらしい。
よりよく理解するために、形が人間ではないものを用いることは効果的だと思う。客観視しやすいし、受け入れやすい。それがぎょっとするような行動をしても「まぁこいつ私と違う生き物だからな」と割り切れるし、何かに感情を揺さぶられていたとしても「ふーん、そんな風に思うのか」と納得できる。
これが具体的な人間だったら、「いやこの年の人この状況でそんなこと絶対せんし! 思わんし!」とか、下手に自分と同じ生き物なだけに先入観にめっちゃ邪魔されると思う。
で、最後まで見たとき、あるいは大事な場面の前後で気づくのだ。「あれ? もしかしてこれって人間と同じなんじゃ……」
フォスの、決して死なない宝石ならではと思えるどこか破滅的な行動も、実はとても人間らしい。
私たちは変わりたいと思っている時、新たに得たいと思っているものにばかり気を取られて、もともと自分が持っているもの、特に新しいものを代わりに嵌めたいと思っている部分には随分無頓着じゃないだろうか。
冷静さを欲しがっている時は興奮しやすさを要らないと思っているし、痩せた体になりたいと思っている時は太った体などどこかにやってもいいと思っている。
そういうことを、フォスはあくまで自然に、無意識に近いレベルで体現している。体を失うに至った経緯は一見事故じみているけど、例えばボルツなら海の深い部分に勝手に入ったりしないだろうし、流氷の言葉に惹きつけられたりもしない。

 

 

 

しかし、私はアニメを先に観てなんじゃこりゃ! と釘付けになっていたところ友人の漫画を8巻まで借りてズブズブになっているところなんだけど。(下に行くにつれこの記事は支離滅裂かつ身もふたもないことになってゆくよ)漫画は次の記事でちゃんと書く。とりあえずアニメー。
たしか、7話放映の時点までちゃんと観てなかったんだよな。1話だけ観てた。まず放映2ヶ月くらい前の予告だけ観てこーりゃデカいコンテンツ来たなとは思ったんだけど、1話の迫力がとんでもなくて怖気付いて少女終末旅行ばっか観てた(これもまた良くて)。
しかしまぁ、本当にむごい。ここまでドンピシャあってええんかぁぁと喉を掻きむしってしまうよ。
まず宝石たちのコンテンツ力がすごい。容姿端麗、華やかな髪と目の色、CGアニメ苦手だったんだけどこれは宝石の輝き出すために使って正解だし所々普通のアニメ(相応しい単語を知らない無知さ)ぽくしてるからちょうど見やすい。
そんでもって性別がない。一人称が大半「僕」と来てる。んで言葉遣いも少女とも少年ともつかない感じでまた……「あら」とか「かしら」とかちょっと平成末期にはレトロっぽい感じでまた……たまらん。

めっちゃかわい〜〜くて『ちゃお』とか読んでそうな見た目のダイヤモンドが「僕」って言った時私の中で何かが始まった。
友人から教わった知識として上半身が少年、下半身が少女ということらしい、ヒップとかがなかなかどきどきする妖艶さなんだけどそこを「えろい」とか低俗な言葉を発させない品位で突き通すのがまた素晴らしい。


そんでね! 硬度ね! かつ靭性ね! からの特異体質ね! も〜〜勘弁してくれ!!
フォスは硬度がかなり低い三半で、ミスターヒロイン(どっちだ。どっちでもない。それがいい)シンシャとアンタークちんがそれを下回る。で、ダイヤ属がもちろんかなりの硬度を誇るんだけど、ここで靭性というのがものをいう。 ダイヤとボルツ、同じダイヤモンドなんだけど靭性がボルツのが高い(高いというので正解なのかな)。とかでダイヤさんがあんな風に病む羽目に。
そういえばダイヤさんがフォスのために奔走する回があって、何でダイヤだけこんなにしてくれるんだろ? て疑問に思ってたんだけど、もしかしたら彼はフォスが自分と同じだと思ったのかもしれないな。他の人、あるいは特定の誰かより圧倒的に劣っているだろう自分の価値を疑う者として。
今アニメで取り上げられてる特異体質のうち2つは、会える期間に制限があるもの。これが1番きついよなぁ何だかんだ。読者としては。
アンタークちんは皆とお話ししたことあったんだろうか。名前出したりはしてた気がするけど。寂しいなぁ。いなくなっちゃってからの、フォスのポップでネガティブな幻覚によるネガティブキャンペーンが最早可哀想の域だ。笑
パパラチア……パパラチア……声……かっこよすぎたね。あれは幾ら何でも……ずるいね。朴ろ美さん真骨頂惜しみなく発揮しすぎじゃん……。
彼奴によりルチルがいきなり五億倍くらい美しく艶くなってしまうのは大罪。パパラチアが倒れて布をかける時の「そうですか……」がとんでもなかった。忘れたくない声だった。

そんで、シンシャは体から水銀が出る体質のせいで一人ぼっち。でも情にはアツイ。愛い奴め。たぶん結構ロマンチストだよね。実は。もう大体フォスのことしか考えてないよね。二色揃ってクリスマスカラーだね。
漫画だとアニメ放映範囲で2回赤面してるはずなんだけど、1話目の「見られたくない……」のあたり赤面してないよね! だから12話の「お前、そう言ったろ」のあたりどうなんだろと思ってたら、あらまー!!! 出血大サービス!!! もう頭抱えたよね。まぁ欲を言えば、ちょっと上から載せたっぽくなってたから、もっと内側から透けるような紅潮にすると尚をかしだったかもだね。(どこ目線)
だから、ひょっとするとシンシャは赤面症なのかな、なんて思ったりもした。ひえー。どうにかしちゃいたい。

ていうかね、宝石の国は、世界観とかストーリーはもちろんなんだけど、宝石同士の関係性がやっぱどうにも惹かれてしょうがない。やっぱどう客観視しようとしてもルチルとパパラチア、フォスとシンシャの関係には恋愛感情が見えるけど、奴ら性別ないのよ。でも恋してんのよ。それは恋と言えるのか? でもやっぱ恋に似てるよね? じゃあ愛ってやつ? とか考え出すともうスペーシーなことになってくる。市川さんはえぐい。性別も関係ないものたちの恋愛のようなものを描き出すことによって、恋って性別由来なのか生物由来なのか切り出そうとしてる。気がする。
ボルツとダイヤは……私はなんかやっぱ兄弟愛(の相当こじれたやつ)なのかなーって思ってたけど、わからない。可能性はあり。イエローダイヤモンドもダイヤだけどあそこは我関せずだよね。鉱物的に遠縁なのかしら? 学がないから分からん。
……まぁまぁ、こういう点でもこの作品はかなり美味しい。

いやまぁアニメだと、アクションが分かりやすくていい。音楽もつくし。シンシャのテーマみたいになってるピアノの切ないやつと、月人来襲ん時の仏教音楽(語彙)みたいのが好き。

そんでやっぱ声の演技の存在は大きい! 命を吹き込むとはよく言ったものです。黒沢ともよさんのいい感じに力抜いた演技好きだなぁ。あれは棒読みじゃないよね。ただならぬ雰囲気がにじみ出る「脱力」「無機質」というれっきとした演技だ。シンシャもいい〜。予告で何度も繰り返し聴いたもん。漫画を先に読んでた12話の「お前そう言ったろ」は解釈の一致でしかなくて「分かってんな〜!」てなった。

釘宮さんはまじ……あの人何者なの? え、いた?ってなったよ、最初。そんな声出せたんかーい! てなる。

あとルチル結構好きなんだよなぁー。知らない方なんだけど。私あんまり声優さん知らないからな。

ただ、悠木碧さんが好きで、あの方演技演技してない演技もかなり得意だと思うから、ぜひ二期は出て欲しい。あの黒い子の声で……()

 

アニメオリジナル演出(と思しき)もやびゃかったなぁ。

「可愛い! 凛々しい!」なフォスがまた観れるとは……ウッ……て感じだったし。

あと! 「組むだけなら 別に……」ってシンシャが呟いた時、原作ではフォス振り返ってなかった気がするんだ! というか、フォスに伝わっていたのかどうか分からないまま終わっていたと思うんだ……。ここで原作と進路変わったりするんだろうか? そんなことないよね? 多分両者公認で組んだとしても、とりあえずは個別で動いて、時々報告って感じなんだよね、多分。アニメではがっつり一緒に行動するようになりますとかだったら卒倒してしまう。悪い意味とかじゃなくて、翻弄されすぎて。どうなっちゃうの〜ってワンちゃんネコちゃんみたいにお腹見せてしまう。

 

 

……というわけで、ヴィレヴァンのポップで「アクションファンタジー!」て書いてあったんだけど、確かにアニメの宝石の国第一期は、「アクションファンタジー」だ。二期は……ちょっと変わるんじゃないだろうか。漫画はえらいことになってます。
はやく二期決定してね。干からびてしまうよ。

 

宝石の国二期という虹を、私は渇望しています。
二期と虹って、似てるよな……。(無理やり)