夜明けまで3時間

独り言ごちゃまぜボックス

ここで新事実。私以外の人は、なんと……

私以外の人は、私と違う人だ。
当たり前だ。
ここ数年感じたりする絶望っぽい孤独さの発生源の輪郭が、私は最近ちょっと見えて来た気がする。
それは「違う」ということ。
何でもいい。この人とあの人でもいいし、性別でもいいし、趣味の違いでもいいし、難しそうな話をするなら価値観とかでもいい。とにかく、あ、違うなって思うこと、それが私を1人にしていると思う。
周りになんでこんなこと言うんだろう、こんなことするんだろうって思うようなことするアニマルとか人間がいる。これ、実はしょうがない。だって違うんだから。こういうことしていいとか、こういうこと言っていいとか、そういうラインが私とは違うんだから。そんでもって私も誰かから思われている。なんでこいつこんなことするんだろ、言うんだろって、軽蔑されたり恨まれたりすることが残念ながら間違いなくある。ごめんなさい。

 

「配慮」とか「理解」とかにも、違いは根強く絡んでくる。この人を理解して配慮しつつ支えたいとか思っても、まるっと理解するとか出来ないよ。だって過去が、事情が、育って来た環境が、感覚が、違うんだもの。だからふっと口から出た言葉が突然相手を傷つける。傷つけたな、と思った時には大抵遅い。傷つけた事にすら気づかない事だってままある。なんであの人突然自分から離れていったんだろ? って思ったりすることの原因の4割はこの辺の理由な気がする。単に環境が変わったりってことももちろんあるだろうし、気にしすぎは良くない。

あと、性も結構孤独なものだと思う。男と女っていう2つじゃない。最近はよく言われてると思うけどLGBTQとかって話だけじゃなくて、もっと細かい部分のこと。たとえば付き合ってる人がいたとして、その人とどこまで触れ合うか? 婚前交渉なんて言葉もう古いのかも知れないけど。それを選びたいかどうかとか。そういう部分も人によってまるで違うんじゃないかと、その違いって実は性別の違いと捉えたって差し支えないぐらい大きなものなんじゃないかと、思ったりする。というか、もうちょっと尊重されて然るべきだよ。付き合ってるから絶対そこまで行かなきゃいけないって誰が決めたんだろ。行かないと男が辛いから思いやりとか? いやいやじゃあ女の辛さはどうなんのー。その辺はお互い辛いから存分に話し合いましょうよー。そもそも「ほにゃららを高校までに捨てなきゃ妖精」とか、なんか女のこと考えてないよなって思ってしまう。それに付き合わされるの大体同年代の女の子だよね? リスクはゼロじゃないぜ? とか。まぁ違うから分かんないだろうけど! もちろん双方そこまで行きたいと思ってるんならそれはとても幸せなことだし、いいと思うのだ。違う、ということが確かなのと一緒くらい、同じ、ってことがあるのも、確か。

 

あと「あの人より私の方が辛いよ」という考え方にもちょっとモヤモヤする。あなたとあの人は違う人じゃないすかー。辛いと思うことは多分というか間違いなく違うよ? Aという出来事とBという出来事があったとして、あなたがAのほうが辛いと思うのにあの人はBのほうが辛いと思うこと、とても高い確率でありえるよ? 何を悲しいと感じるかってことが何によって決まるかって、そんなの正解が私ごときに分かる訳ないけど、例えば、小さい頃のある出来事だったり、もう名前も覚えてない誰かと交わした言葉が関わってたりするんじゃないかなぁ。要するにめっちゃ個人的。そんなの他の人が知ってる訳ないし、体験もできないから分かる訳ない。


辛さとか苦しみとか限界とかが人で全く違うってこと、めちゃくちゃ忘れがちだけど、絶対に胸に刻んどいたほうがいいと思う。こういう違いを意識せずに他人の感覚押し続けると、多分人は死ぬ。殺されてしまう。ああこんなに辛いのは自分がおかしいからなんだって思って、どうしようもなく孤独になる。いやいやおかしくないから、辛いと感じることはこの上なく正常だから。

 

正直、傷つくラインすら人によって違うんだって思った時が1番ぞっとしたし、絶望した。
だってそれって、私悲しいよって叫んだ時に、何それそんなことで悲しむなんておかしくない? って心の底から思われることがあるってことですよ。
それはめちゃくちゃつらい。つらいって叫ぶことすら認められないのは、すんごくつらい。
ある時、どんな時に「傷ついた、怒ったぞ」って言っていいのか心底分からなくなったけど、あんまり傷ついて涙が出て来た時があって、その時はもうこれ言っていいなと思って言った。まぁ多分向こうは「なんで傷ついてんだ?」とか思ったんじゃないかな。でもいい。こっちは伝えたから、そこから先は向こうに任せる。
自分の怒りが他の人にも認められるとは限らない。でも溜め込んだら、そこに居続けることは難しくなる。だから、自分で決めた一線(涙が出た時は言おう、的な)を越えたときは、迷わず伝えたほうがいい。
だって違う人だもの。心を読んでくれる訳じゃない。言わなきゃ伝わらない。言っても伝わらない時があるけど、その時は諦めてちょっと距離置いてみるなりなんなり。こちら側からの渾身の一擲を受け取れない相手は、そもそも関わらない方が正解な場合がございます。

 

違うってことは、たびたび嘘を呼ぶ。私はあなたと同じだっていう、嘘を呼ぶ。それは多分、生きていくために必要な嘘だ。
「本当の私なんて誰も好きになってくれないから」
私がいま傾倒してる劇団アマヤドリの「青いポスト」での一言。大好きだ。
そんな悲しいことないって言いたいけど、実際、そうだ。
じゃあ本当って何よってもなりそうだけど。本音を言ってるはずなのに言ってる途中で「あれ、これ本当に私の言いたいこと?」みたいな。嘘が本当になることもあるし本当が嘘になることもあるのが現状かも。ややっこしなぁー。

とにかく、違うのだ。私たちは一人一人違うし、さらに私の中でも違う要素が混在している。


でも違っても生きていかなきゃ、一緒にいなきゃいられないから、私たちは嘘をついたり、伝えたり、たまーにごくたまーに相手の一部を自分と同じに変えることに成功してほんのちょっと生きやすくなったりしながら、何とか毎日生きている。
だから、小学生みたいなこと書くけど、伝えるって本当に大事だ。気づいてもらうにも分かってもらうにも伝えなきゃ始まらない。

表現って大事だ。その方法に凝ることも大事だ。全く違う私たちに、ほんの少しだけ同じな部分を作るために、それを増やすために大事だ。

 

でも、面倒臭いもので、全部同じだと今度はつまらない。
違うからこそ私は全く違う他の人の作るものにドキドキするし、ワクワクもできる。感動ができる。それは私の人生を楽しくするために欠かせないことだ。

それに、皆おんなじだと、辛いことがあった時に再起不能だ。

私はこのタイプの辛いことには比較的強いっすよ! て人がいれば、その人は立ってられる。倒れてる人に手を差し伸べることも出来る。私はあなたの辛い気持ち全部分かる訳じゃないけど、あなたを助けたいよって言える。


残念ながら、全ての元凶である「違う」ということも、やっぱり大事みたいだ。

あーあ、なんじゃこりゃー。